第84回 授業研究会の記録 2001年7月7日(土) 佃中学校


第84回授業研究会は、2001年7月7日に佃中学校で行われました。発表は、山本崇雄先生。参加者は約20名でした。


山本崇雄先生の発表資料(アクロバット形式のデータでダウンロードできます)

1)指導案 

参加者のレポート

 杉本 薫(佃中学校)

次の点で、この授業は示唆に富んでおり、優れていると思う。

(1)生徒にとって、授業の中に自然な気持ちの動きとそれをオープンできる安心感があること。
 ・授業の展開は、平板でなくいろいろ工夫されていた。かなり多くの要素を取り込もうとする意欲的な授業だったと思う。にもかかわらず、それらに振り回されることなく、生徒が安心して授業に望んでいるのは明らかだった。これは日頃の授業での先生の指導の効果に他ならない。指示をきちんと素直に受けて、その学習の中に自分を置き、指導の流れに身を任せながら自分の心と頭に意識を集中させられることは非常に重要である。言葉を換えると「指導力の確かさ」だろう。これが無理なくできる授業の中では、生徒は心を開き、予想をはるかにこえた率直さで心情を表現できるものだ。この指導の延長にそのような方向をふまえた展開があって欲しいと思った。

(2)英語を用いての表現させるのに充分な基礎英語力が、日常の指導の中で蓄積されていること。
 ・これがなければ授業は教師の自己満足と独りよがりの産物になりかねない。今回の授業では、特に強調されてはいないが、Bingoやスピーチのルーティーンワークや、復習として提示された教科書をきちんと消化した音読指導がこれを支えている。まさに「基礎基本」にあたるものであろう。生徒の自信に満ちた発言や態度にこの部分の指導の確かさを感じた。

(3)素材と教材、教具に工夫があり、授業そのものが英語を用いたコミュニケーションの一例となっていること。
 ・イメージの拡大と定着に大きな役割を果たした大型プロジェクター、サウンド素材の提示に使ったMDなど、視聴覚機器の効果には、目を見張るものがあった。それぞれに何をするための、どの段階のねらいを持っている使い方であるのかという点でよく練られた実践であったと思う。やはり大事なのは、「何を使うのか」ではなく「なぜ、何のために使うのか」という考え方だろう。
そして、英語の授業の中で、生徒が理解したり感じたことは、(英語を使っている授業であるという条件が必要だが)それ自体がコミュニケーションの貴重な実践となる。
 
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